レイチェル・カーソン 年譜
1894年 | 父ロバート・カーソン、マリア・マクリーンと結婚 |
1907年(0歳) | 5月27日、レイチェル、ペンシルベニア州スプリングデールで誕生 |
1918年(11歳) | 投稿作品が、子供雑誌セント・ニコラスの銀賞を得る |
1925年(18歳) | ペンシルベニア女子大学(現チャタム大学)入学 |
1929年(22歳) | 5月、大学卒業。夏、ウッヅホール海洋生物研修所で研修を受ける 9月、ジョンズ・ホプキンス大学大学院修士課程入学 |
1930年(23歳) | カーソン家、スプリングデールからボルチモアに転居 |
1932年(25歳) | 6月、修士号取得、メリーランド大学などで非常勤講師をしながら研究を続ける |
1935年(28歳) | 7月、父ロバート死去。アルバイトでラジオ番組の台本を執筆 |
1936年(29歳) | 8月、公務員試験にトップで合格、漁業局に正式採用される |
1937年(30歳) | 9月、「アトランティック・マンスリー」に「海の中」掲載される |
1940年(33歳) | 漁業局が内務省の魚類野生生物局に組織替えとなる |
1941年(34歳) | 11月、「潮風の下で」を出版 |
1946年(39歳) | 政府刊行物ブックレット「自然保護活動」を執筆(〜47年) |
1949年(42歳) | 魚類野生生物の水中調査に参加、はじめて海にもぐる |
1951年(44歳) | 7月、「われらをめぐる海」を出版、ベストセラーになる 長期休暇をとり調査旅行にいく |
1952年(45歳) | 全米新聞連合により、”今年の女性”に推薦される 第一作「潮風の下で」再販、ベストセラーになる 6月、魚類野生生物局を退職、執筆活動に専念 |
1953年(46歳) | メイン州ウエスト・サウスポートに別荘をたてる |
1954年(47歳) | 生涯の友、フリーマン夫妻を知る |
1955年(48歳) | 「海辺」を出版、ベストセラーになる |
1956年(49歳) | 女性雑誌にエッセイ「子供たちに不思議さへの眼を開かせよう」を発表。 (のちに「センス・オブ・ワンダー」となる |
1957年(50歳) | 2月、姪のマージョリー死去、遺児ロジャー(5歳)を養子にする 7月、メリーランド州シルバースプリングに家を新築 オルガ・ハキンズよりDDTの被害を訴える手紙を受け取る |
1958年(51歳) | 「沈黙の春」の執筆にとりかかる 12月、母マリア死去。つぎつぎと病気にかかる |
1960年(53歳) | 胸部にガンが発見される |
1961年(54歳) | 病状好転せず、寝たきりになりながらも12月「沈黙の春」脱稿 |
1962年(55歳) | 6月、「ニューヨーカー」誌に「沈黙の春」の連載はじまる 化学工業企業からの圧力がふえる。告訴の脅しも 8月、ケネデイ大統領記者会見でカーソンの「沈黙の春」に触れる 科学技術諮問委員会は農業委員会を設立 9月、「沈黙の春」単行本出版。社会に大きな反響の嵐を呼ぶ |
1963年(56歳) | 1月シュバイツアー賞受賞 この後、全米野生生物保護連盟より「本年度自然保護のために最も活躍した人物」に選ばれ受賞相次ぐ 5月、科学技術諮問委員会農業委員会は報告書を発表 「沈黙の春」の正確さを認め評価がさだまる 6月、国会公聴会で環境危機について証言 12月、カルフォルニアへ旅行、ミュアの森を訪れる 12月、オーヂュボン賞受賞。「沈黙の春」各国で翻訳 |
1964年 | 4月14日死去(享年56歳) |
1965年 | 「センス・オブ・ワンダー」出版 |
1970年 | 環境保護庁設立 メイン州の自然保護区にレイチェル・カーソンの名が冠される |